島田洋七の経歴は?現在何してる?嫁との馴れ初めは?

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今回は漫才師として活躍していたり小説、がばいばあちゃん等を執筆した島田洋七さんの記事を書いていきます。

経歴

最初に経歴から書いていきます。

プロフィール

本名     徳永昭広 (とくなが あきひろ)

芸名     島田洋七 (しまだ ようしち)

生年月日   1950年2月10日

出身地    広島県白島九軒町

身長     164㎝

血液型    O型

学歴     広島工業大学 (中退)

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現職     漫才師 タレント 執筆家

所属事務所  オスカープロモーション

漫才師時代

彼の人生は時にジェットコースターにも例えられるほど激動のそれであり、上がり下がりの激しい様から親友のビートたけしさんに「シーソーか」と茶化される事も。

実際、幼いころはお金もなく貧乏生活を送っていた島田さん。それが一転、相方の島田 洋八さんと漫才コンビ「B&B」を結成し「漫才ブーム」を巻き起こします。

当時はかなりのお金を稼いでいたらしくたけしさんと銀座のクラブを一千万で貸し切ったり、たった三人の飲み会で150万も使ったり……etc、豪遊生活に勤しんでいたのだとか。そですね、漫才ブーム確かにありましたね。島田洋七さんと洋八さんの「B&B」をはじめ、沢山の漫才師達がテレビに出まくってたのを覚えています。

あと、「オレたちひょうきん族」も、よく見ていました。なんでも裏番組では、あの怪物番組「8時だョ!全員集合」が放送されており視聴率でぬいてしまうのですからね、凄い勢いを感じます。

やはり、この頃からのビートたけしさんをはじめとするお笑いメンバー方はお金の使い方も派手だったんですね。

3人で飲みに行って数百万とか一千万でくらぶ貸し切りとか普通はできないですよね。

しかしそんな生活も長くは続きませんでした。たけしさんが「シーソー」と称したように島田さんの人生はここから急降下。

81年からその人気に陰りが見え始め82年に本格的に低迷していきます。そして83年にはコンビを解散。

解散後は別の相手とコンビを組んだ事もありましたがどれも長続きしませんでした。

さらには複数の事業に手を出したものの結局は閉店する事に。

島田洋七さんに限らず人気が低迷してしまう事は芸能界ではよくある話ではないでしょうか。

漫才師が解散後また違う相手とコンビを組むそして、また失敗。

芸能人ではなく私のような一般人が仕事を転々とするのと同じような気がします。(語弊があるかもしれませんが)

本格的に仕事がなくなった島田さんは親友であるたけしさんのお仕事について回る事になります。

7年間、たけし軍団のコック的な活動に精を出したり選挙に立候補してみたり見事な迷走ぶりを見せ借金も背負う事になった島田さんは芸人引退を決意。

たけしさんに相談をしたところ「芸人をやめるなら友達づきあいをやめるぞ!」と一喝され引退を思いとどまり翻って生涯一漫才師を決意する事に。

そして洋八さんと「B&B」を再結成、再スタートを切ります。

その後は紆余曲折ありながらも「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒットした事により再び知名度が上昇多くの仕事と報酬に恵まれました。

たけしと寿司屋で飲んだとき、たけしの母親自慢に対抗して、ばあちゃんの話をしたら涙を流してたけしが大笑いし「絶対に本にすべき」とアドバイスされた。

島田洋七さんはかなり破天荒な部分もありますね。何の根拠もなく選挙に出馬したり等。

洋七さんは、様々な場面でビートたけしさんに救われいるようですね。たけしさんも、おそらく洋七さんの才能を認めていたのではないでしょうか。

洋七さんの復帰後も、たけしさんは色々と仕事の世話をしています。

プライベートでも、とても仲が良かったようですね。たまたま、たけしさんと飲んでいる時におばあちゃんの話が出て、それが人生を変える書籍になるとは、この時は2人共思っていなかったのではないでしょうか。

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現在

島田洋七さんは現在どうされているのでしょうか。

佐賀県で田舎暮らしを楽しんでいます、自然豊かな土地で家庭菜園にいそしんでいるとの事です。

農業の知識はゼロでしたが近所の人達から野菜の育て方を教えてもらいながら、のんびり暮らしいているみたいですね。

「佐賀のがばいばあちゃん」のヒットで、自宅は有名スポットになっているのだとか。

地元の人はもちろんのこと、県外からも観光目当てに人が来るそうです。

田舎暮らし、いいですね。自然を相手にしながらの勇誘致的な生活って羨ましいです。

自宅が一般の人に知られているのは、ちょっと問題ありかな?とは思いますが洋七さんの大らかそうな性格だと心配ないかとも思えますね。

観光目当てで行かれる方も、どうか迷惑にならないように気を使ってあげて下さいね。

漫才師としての活動の傍ら、講演、執筆活動にも取り組む。自分の人生論や経験、祖母との生活などを元に語る講演会は高い評価を得ている。

最近は、ほとんどテレビ等で拝見する事が無くなった洋七さんですが今はお笑いとは違う活動をされているようですね。

田舎で家庭菜園を楽しんでいる傍ら全国各地で積極的に講演会の講師活動をされているようです。

講演会でも来場者を爆笑させているのでしょうね。

著書『佐賀のがばいばあちゃん』はシリーズ670万部を超えて日本のみならず、英語版や韓国版、台湾版など海外でも出版されている。

2007年1月には、フジテレビ系列でテレビドラマが放映され、全国視聴率20%を超える大ヒットとなった。2009年には、『島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん』で映画監督デビュー。

この執筆により洋七さんの人生が変わったと言っても過言ではないと思います。

しかしネッとでは、おばあちゃんなんか居ないおじいちゃんだ・・・とか洋七の話は9割以上ウソだ・・・とかかきこまれています。

まあ、そこは噂であって本当の事はわかりませんが多少は盛って書いてるかもしれませんね(笑)

嫁との馴れ初め

洋七さんの奥さんはどのような方なのか気になりますね。

島田洋七さんが19歳の時に、現在の奥さん律子さんに出会います。

20歳の時に歌手になりたくて、駆け落ちして上京しますが、すぐにお金がなくなり、高校の先輩に誘われて大阪に移ります。

その時の生活は、冷蔵庫にはマヨネーズとケチャップしかなかっり、八百屋でもらった野菜の芯やパン屋でもらったパンの耳などで食いつないだ貧困生活で、8年続いたといいます。

芸人の方の下積み時代って、皆さん苦労されているようですね。

漫才だけでは生活出来ないから色々バイト等をして食いつないでいる。

これは現在のテレビ等で活躍されているほとんどの芸人の方が話しています。

このような生活でも妻も律子さんは洋七さんの傍を離れようたはしなかったんですね。

漫才ブームに火がついて、1980年には年収が8億円になったといいます。

その時に実家や自宅を立て替えたりしてかなり派手に使い込みます。

しかし、翌年税金5億円が払えなくなり、数年かけて支払ったといいます。

漫才ブームが下火になり、いろんなことに手を出して、借金だけが残り、自殺を考えた時、いつもそばにいて洋七さんを支えてくれたのが、妻の律子さんと言います。

ここでも律子さんは洋七さんを支え続けています。洋七さんは、とても幸せな方だと思います。

ネット上では洋七さんの妻は再婚、元妻、歯科医とか出てくるようですが、これは間違いのようです。

二人は今現在も仲良く佐賀の自宅で暮らしているようですよ。

まとめ

漫才師時代から波乱万丈な人生を歩んできた島田洋七さんですがビートたけしさんや妻の律子さんの支援の元に現在の地位を得ているようですね。

これからの活躍も期待しています。

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