今回は元プロボクサーであり世界タイトルマッチ経験者でもある、赤井英和さんにまつわる伝説と、息子の英五郎さんのボクサーとしての活躍、さらにプロレスラーと噂されている娘の沙希さんの事について書いていきたいと思います。
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赤井英和の若い頃はどんな人?
赤井英和のプロフィール
生年月日:1959年8月17日
出身地:大阪府大阪市西成区
血液型:A型
身長:178cm
体重:82kg
学歴:近畿大学商経学部卒業
職業:元ボクサー 現在はタレント
伝説と言われている事とは?
では伝説といわれている事柄について述べていきます。
これは有名な話かも知れませんが、通学電車の座席でふんぞり反っているヤンキーを見かけると「風紀が乱れとるなぁ」といって足を蹴って回っていたそうです。
写真を見る限り、いかにも昭和のヤンキーって感じですね。
しかしながら電車で態度の悪い不良共をターゲットにしている辺り、弱い者には喧嘩を売らない所は普通のワルとは、ちょっと違いますね。
赤井英和は情があるということでも知られており、クラスメートが「天王寺のターミナルで~高校のやつらにやられた」と赤井英和のとこに駆け込んでくると「よっしゃ行ったる」と行き、かつあげ現場に遭遇すると「何しよんねん!」とワルたちを殴り倒していたそうです。
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この記事からも赤井の人柄が伺えます。
誰かれ構わず喧嘩をするのではなく仲間の為、かつあげされている弱い者を助ける為に喧嘩をしてますね。
赤井英和はお年寄りにも優しく、電車でお年寄りがいると席を譲ってあげていたそうです。また、座っているやつもどかしてまでお年寄りを座らせてあげていたのだとか。
普通の不良ならこんな事出来ないと思いますよ。
まともな大人だって中々出来る事ではありません。
以上の事から赤井英和は確かにヤンキーで喧嘩好き、でも弱い者には手を出さない心底は優しい男だったのではないでしょうか。
浪速のロッキーと呼ばれていたボクサー時代
ここではアマチュア時代を割愛してプロ時代の活動を書いていきます。
浪速のロッキー赤井英和はプロ転向にあたり、愛寿ボクシングジム(現在のグリーンツダジム)の門を叩きスーパーライト級のプロボクサーとなる。
あれよあれよという間にKO勝利の山を築き、全日本新人王のタイトルも獲り、なんと12連続KO勝利。赤井は関西一の人気ボクサーとなった。
派手なKOと攻撃型ボクシングの面白さもさることながら、そのカリスマ性とおもしろコメントでスターボクサーを作ることができると証明したのは、赤井の功績と言っていいだろう。
当時の赤井英和の攻撃的ボクシングスタイルは、言ってみれば「かっこいい」の一言。入場の花道に彼が現れた瞬間、ファンは熱狂し、また彼はそういうファンに応えるように会場の空気を一瞬で自分のものにしてしまうカリスマ性の持ち主だった。当時、ノンタイトル戦であっても、赤井の試合のある日は大阪の街はその話題でもちきりだったのだ。
しかし、コアなボクシングファンからは「赤井は強い選手とやっていない。ボクサーとしては大した功績はないじゃないか」「人気先行のタレントボクサーだ」と揶揄されていたことも事実だ。そんな赤井が本物を証明するチャンスが、世界タイトルへの挑戦だった。
赤井英和に巡ってきたチャンスはWBCスーパーライト級チャンピオン、ブルース・カリーへの挑戦だった。しかし、結果は自分がKOを予告した7ラウンドに逆にTKO負け。
この頃、私の記憶では日本人選手の世界タイトルマッチは連戦連敗だったと記憶してます。
あまりプロボクサーの事を悪く言いたくはないんですが(あくまで個人的な意見です)、確かに当時は実力不足のボクサーが世界に挑戦し惨敗するシーンを沢山みてきました。
その中でも赤井の活躍は凄まじい物があり楽しみにしていましたが、不安材料としてはスーパーライト級という階級です。
この階級は軽量級とは違い世界の層が厚いクラスです。
いくら赤井が、日本、東洋に適無しといわれても勝てる可能性は、非常に少ないと思って見てました。
勿論、勝つ事を願って応援してましたよ。
しかし結果はKO負け。
ある程度予想はしていましたが、現実に赤井がリングに大の字に倒れている姿はとても悔しかった事を覚えています。
世界タイトルマッチ敗戦のショックから引退をほのめかしていたようですが、現役続行を表明しました。
その後も順調に勝ち続けますが1985年2月5日vs大和田正春戦で、まさかのKO負け。
敗戦は格闘技ですから仕方がないですがこの試合後、意識不明になり急性硬膜下血腫・脳挫傷にて開頭手術を受けます。
搬送時生存率20%、術後生存率50%という危機的な状況でした。
それでも赤井は危機を回避しますが、この敗戦で引退を表明します。
赤井英和は今何をしている?
引退した後は後輩のボクシングを教育していましたが、映画にゲスト出演したことをきっかけに俳優としての道を歩くこととなります。
映画やドラマなどの出演が多かった赤井英和さんですが、最近ではバラエティ番組への出演が多いように感じます。しかし強烈な武勇伝を基に話されるトークは人気となっていました。
ボクサー時代から個性豊かだった赤井英和は俳優からバラエティまでこなしています。
最近ではライザップのCMが印象的でしたね。
また、最近テレビから「ほされた」などの噂があるようですが、それについては後ほど書いていきたいと思います。
息子は赤井英五郎で現在はボクサー?
赤井英和さんには離婚歴があり前妻の子供を含めると5人居るようです。
最初に長男(現妻)の英五郎さんについてかいていきます。
英五郎さんのプロフィール。
生年月日:1994年9月22日
年齢:24歳
出身:東京都渋谷区
身長:179cm
体重:74kg
所属:奈良県連盟
お父さんの若い時と全然違いますね。
赤井さんには失礼かもしれませんがお父さんはバリバリのヤンキー。
対して息子の栄五郎さんは端正な顔立ち、そのまま俳優にもなれそうなくらいイケメンですね。
赤井英和さんの息子さんですが、
今現在、ボクサーとして修練を積んでいるようです。元々アメリカ留学中にアメフトをしていたそうで、
かなり筋骨隆々のマッチョという噂。ボクシングデビューは遅めでしたが、
デビュー三戦目に全日本アマチュア選手権優勝するなど、将来を期待されています。東京オリンピックを目指しているそうで、
赤井英和さんはその夢に付き合っているという噂です。
英和さんはなんでも英五郎さんのために自宅の地下にトレーニングルームを作ったのだとか.。流石プロボクサー経験者というだけあってガチです。
英和さんは現役時代オリンピックには出場できなかったため、ぜひとも英五郎さんと雪辱を果たしてほしいですね。
赤井さん自身もアマチュア時代はモスクワ五輪の有力候補でしたが、日本の五輪ボイコットにより夢は断たれました。
それだけに自身の夢を息子に託しているんでしょうね。
いずれにしても楽しみな存在です。
あの「浪速のロッキー」とよばれた2世ですから、東京五輪でメダルを取りプロ転向、そして世界王者、期待しています。
娘は赤井沙希でプロレスラー?
次女(前妻)は赤井沙希さん。
沙希さんのプロフィール
本名: 赤井沙希(あかいさき)
別名: 沙希
生年月日: 1987年1月24日
血液型: A型
身長 / 体重: 174 cm / 53 kg
スリーサイズ: 83 – 60 – 89 cm
特技: バレーボール
趣味: 映画鑑賞、料理、散歩
2013年8月に両国国技館でプロレスデビュー(所属団体)『DDT』2014年12月23日にはプロレスの聖地・後楽園ホールでも試合をしているようです。
綺麗な方ですね。
今後はプロレスのみならず女優としての道もあるのではないでしょうか。
赤井沙希さんは名字は赤井のままですが彼女が幼い頃に両親が離婚してしまったため、幼少期は赤井英和さんとの関わりはほぼなかったそうです。
ところが芸能界デビューをきっかけに自分が赤井英和の娘であることを発表し、14年ぶりに再開することになりました。
たとえ関わりが無かったと言っても親子である事は間違いない訳で、赤井英和さんもその存在に喜び応援しているのではないでしょうか。
まとめ
以上の事から赤井英和はテレビから干されたのではなく息子のボクシングトレーニングに没頭していると思われます。
息子と二人三脚でぜひ夢をかなえていただきたいですね。
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